妥当な回答

ある年の夏休み、ぼくはバンクーバーから車で8時間はなれたところにある街で、ゴルフ休暇なるものを取っていました。こう書くとちょっと聞こえがいいかもしれませんが、なんのことはない、実を言うとぼくの父親なる人がその街にアパートを持ってて、ぼくはただ単にそこで寝泊まりして、その街にあるゴルフ場で毎日ゴルフをしたというだけのことです。でもまあ、これも表現のしようによっては、「カナダの避暑地にあるパパの別荘でゴルフ・バカンスを楽しむ」ってことにもなるんですけどね。

その頃、父は毎年夏になると、日本の猛暑からのがれて2ヶ月くらいその街で過ごしていました。それに併せてぼくも毎年10日間くらいそこでゴルフをして過ごしました。もちろんぼくの嫁さんなる人も同行したんですが、その年彼女はたまたまキャンセルできない仕事があって休暇の途中でバンクーバーへ帰ることになって、ぼくが車で彼女を最寄りの空港へ送っていくことになりました。最寄りの空港といってもさすがカナダです。片道3時間半も掛かりました。

飛行機の出発時刻は午前9時だったので、8時前に嫁さんを空港で降ろして帰路に着きました。まあこれだったら昼までには街に帰れるし、そしたらまだじゅうぶんゴルフを堪能できるなと考えながら、その朝来た道を逆方向に向かって車を走らせました。

帰路の中間地点あたりまで来たところで、ぼくはふと昔のことを思い出しました。道路標識に昔付き合っていた女の子のホームタウンの名前が出てたから。その標識を少し過ぎたところで路肩に車を停めてぼくは考えました。その標識が示している分岐点からその街まで約50キロ。時速100キロで走ったとして往復1時間、そしてその街で1時間つぶしたとしても、全部で2時間。夏休みだし、それにその街を訪れるチャンスももう二度とないかもしれません。嫁さん連れてそういうとこに行くわけにもいきませんしね。

その街に着いたぼくは街のダウンタウンまで行くとホテルを見つけて入りました。ラウンジまで行って窓の側にテーブルを見つけると、コーヒーと電話帳を注文しました。ぼくはそれまでに多数の小さい街を訪れたことがあったんですが、この街はそれらのどの街にも負けないくらい小さい街でした。ダウンタウンにはこのホテルと雑貨屋と郵便局しかありませんでした。街には銀行がないとなとも考えてみたんですが、それらしきものは見当たりませんでした。

ウェイトレスは電話帳とコーヒーを持ってくると、ぼくに「観光ですか、ビジネスですか」と訊ねました。「どちらとも、少しずつね」とぼくは答えました。たいていの場合、ぼくは二者択一の質問に対してこう答えます。正直じゃないかもしれませんが、大抵の場合、それが妥当な回答だからです。

ぼくはコーヒーを飲みながら、電話帳を捲って彼女のラスト・ネームを探しました。そういったラスト・ネームは一つしかありませんでした。ぼくはナプキンに通りの名前と番号を控えると、コーヒーを飲み干して、勘定を払って、ウェイトレスにその通りはどこか訊いてみました。小さい街だったので、もちろん彼女はその通りを知っていたし、道順も簡単でした。

ぼくはその住所が示す家を見つけると、その家をちょっと通り過ぎてから路地に車を停めて、振り返ってその家を見てみました。ごく普通の家でした。付き合い始めてから一年ほど経って、ぼくと彼女の関係が終りかけた頃に、彼女がぼくに言ったことを思い出しました。「あなたのことは好きだけど、今の私はピアノにすべての時間を割かないとならないの。もちろんこれが私だけの問題だったら、あなたとピアノを両立させるように努力するわ。でも、私の家はとても貧乏で、私の両親は私と私のピアノのためにそれはたくさんお金を使ったの。だから、わかってね」

小さくもなく、大きくもない、普通の家でした。その街で見かけたどの家と比べても見劣りもしなければ見栄えもしませんでした。だいたい貧乏な家庭っていうのは、一軒家なんて持ってないよなとぼくは思いました。煙草があったら吸ってたところなんでしょうけど、煙草は数年前に止めていました。

「わたしの家は貧乏だから」と彼女は言いました。それは正直じゃないかもしれませんが、まあ妥当な回答だったんでしょうね。

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